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2011年 08月 04日
2011年 05月 06日
どうしよう
うーむ 未来は再構成すればいい やるべきことをやっているかい? 子供の頃に自分たちだけの秘密基地 そういった気分はとても大切な心 わくわくがなくなったら自分を再構成した方がいいよね いろんな計画はなかったかい? なんかに依存しているって事はないよね うん、進められるだけ進めよう♪ http://www.lastfm.jp/user/baobab_trix 70年台の曲を今夜はたくさん聞いた かつてのぼくの不安がいっぱい甦ってきた いま、気持ちの中心になってることがとても大切 状況が変われば新しい問題としてやってくる ふっふ、そんなもんだ
2005年 06月 18日
こころのないひとがいる
心ない人といってもいいかな。 どうだろう。 自分の気持ちでいっぱいで 相手のことを思いやれないひと。 そういっていいかなぁ。 そのひとに関心が持てないし、 一緒にいるとむしずが走る。 肌が合わない人。 行動論理がまったく許せない人。 狭いのかなぁ。 でもそうだもん。 ここが壁なのかな。 それでいいのかなぁ(←_→) 書いてたらぼくにも当てはまるような気がする。(^_^; あまりにも違う世界のひとってことかしら。 蜘蛛やゴキブリや蛇や一般的にグロテスクな生き物でも、 じっと見とけばそれなりに生態は面白い。 っていうことは、もうこりごりっていう感じなんだろうなぁ。 会社であまりにもひとをののしる若い人がいるので、 なーんかいままで関心を持たないことで通り過ぎてたことが また急に気になってきた。 ぼくもそんな感じでいいの?ってね。 でもそういうひとたちって、 こころが石に見えちゃうんだよねぇ。 さあ、どうなんだろ。 なにか役を必死で演じようとしてるけど、 存在感がない大根役者なのかなぁ。 言葉を聞いて、見えて、感じて、袖すり合って そのひとのイメージができる。 実存主義的に言えば、それがぼくにとっての かれらのすべてなのだ。 そのことについて本人にも深く切り込んで話したこともあったけど、 理解できないようだったもんなぁ。 明日は、ふたこころ、みこころについて 書いてみようかな。 長くなってしまった。 ![]()
2005年 06月 18日
ひとを撮ろうと思う
どうも昔のような接点が見つからない。 ぼくは傍観者でなく、 単にHuman Watcingをするわけでもない。 またひとは撮られることで盗み見られたくもない。 また無理に関わってもおかしいし、 関係を絶つと身構えるのもおかしい。 そういう堂々巡りに中で、 歩き出せば何か見つかることなのかもしれない。 ひとはそう捨てたものではないのだから。 観光地の広場はその空間にいることが大切なこと。 その他の街の広場は待ち合わせ場所。 また広場は人が集まるから行ってみたくなる場所。 かつて天神地下街ができたときに、 2ヶ月ほど行って写真展を開いたことがある。 (サロン・ド・ジョイにて) 歩きながら何かが期待できそうだった。 そしたらちゃっかりキャッチが増えて、 不良とレッテルを貼られがちな子がたむろして、 いつのまにか閉鎖的になっていった。 開放感は社会に不要らしかった。 交差点も気になるところだ。 行き交う人には目的地が大抵ある。 それを信号で中断させられる。 ただいらいらするだけの人から、 他ののことを済ませる人もいる。 あるいは周囲を見渡したり、 空を見たり、いろいろだ。 空間や広がりはとても大切なはずなんだが、 我慢なんかする必要はないはずなんだが....。 筑豊へ撮影に行ったとき、 炭坑住宅を撮ったことがある。 路地では子供らが走っている。 自分のうちと他人のうちの境界がない。 もちろんぼくらもあんまり気にしなくていい。 せまっくるしい場所なのに、 妙に広がりを感じたところだった。 木の板を横に並べた住宅の前には、 決まって鮮やかな花が咲いていた。 あれは3月。夜は寒かった。 ![]()
2005年 06月 18日
敦盛に歌われる「人間五十年・・・」妙に気になる歳になった。
これをくぐれば、 また見えるものが変わってくるのかもしれぬが、 四十は不惑とそのころは気になっていたし・・・・。 五十にして天命を知る、だって。 【為政篇】で行けば、 七十まであるぞ♪ 言葉とは面白いもので、 吉本隆明が「共同幻想論」で指摘しているように、 恋愛や結婚や仕事等々の短い言葉が、 あるべき方向性を指示しているように思えてならない。 暗示のようにひとに強いているように思える。 (みんなだまされるなよ!!) ぼくの場合は、それが数字だけ当てはまるのかな。 十年ごとに区切りがつく。 チベット「死者の書」のように ただ大きい丸い明るい方向に進んでいけばいいのにな。 そうだ、そうだ♪
2005年 06月 18日
ぼくははだかが好き
ひとりぐらししてるときの夏は、 実は・・・・・・・(。-_-。)ポッ いつも すっぽんぽん でいた。 来客などありゃしないが、 ときおり、訪問販売や勧誘が来ると そのときばかりパンツをはくという生活。 いうなれば「裸のサル」みたいなもん。 ひとにいろんなことを話す。 ぼくのことを話すことで、 相手にぼくを理解してもらって、 相手の許容範囲で、 相手からも話してもらう。 しかしそうはいいながら、 なかなか雑念や相手に抱く妄想の部分まで 話せるものではない。 でも話したい。(露出狂気味かも・・はだかすき!!) やっぱり話せない。 そして話したら、 なんか気分が高揚してしまった。 もちろん、一方的なものではない。 (そう確信.......) 実はぼくとてもシャイなのだ。 言葉、共有感、意味、存在...etc。 意識はいつも移ろっている。 その意識のあり方を思い通りに変えれたら、 ひとの悩みの大半は消えてしまう。 孤独ってのも、 それは自分のことじゃなく、 ジョルジュ・ムスタキのように、 傍に寄り添っている友人だと思えば、 孤独の意味がぜんぜん変わってくる。 「武器としての笑い」、「エスプリとユーモア」とか そんなのを昔読んだことがあるが、 そんないかめしいものではなく、 吉本流でもいいから、 自分の身の回りにどれだけ楽しいことを 発見するかの才能を磨くことが大切なのかも。 意識をいつもおかしみを発見しようとする 好奇心を飼っておくのだ。 それを文字にする、 それを写真にする。 それを表現する。 ![]()
2005年 06月 18日
ぼくは猫に昔っから縁がある
何匹の入り猫が来たろうか。 中学3年になってから一応形だけ 受験勉強をしていた。 ほんとは深夜起きていて、ほとんど夢想してたかなぁ。 部屋で戸を開けて深夜起きていると、 猫がぼくを訪ねてくる。 気を許した感じで近づいてくる。 ぼくを見るような見ないような... 気持ちはぼくの方を向いている。 手を下から差し伸べると、 ゴロゴロいいながらまた近づいてくる。 それで喉をなぜてあげる。 そのままうちの飼い猫になった。 そしてしばらくして子猫を産んだ。 いまでもお袋様の語りぐさ。 猫さんは居心地のいいところで昼寝するのが好き。 居心地のいいところで子供を産んで、 おまけにやっかいになろうと思ったのかしら。 初めて書いてみたがこれがぼくの恋愛の原点かもしれないなぁ。
2005年 06月 18日
父は意味なく激情
争いごとが好きで 自分の株を上げるために なんでも場当たり的に介入する 母は思慮なく 思いついたことを喋るだけ 世の中は危険に充ち満ちている 何もしないのが行動原理 社会ってのはきれい事に導こうとする それを倫理っていうらしい 流行り言葉では コンプライアンス それでかろうじてなりたってる 世界なんて煩わしいと思うのは 意識するとひとを狭くしてしまう いや、そうじゃない よくみてると ぼくのあるべき姿が みえてくる そう信じとこ♪
2005年 06月 18日
時間はたっぷりかける方がい
いろんなことが気になる方がいい なにをしたいのか どうなりたいのか ひとりになって 欲望を指折り数え ひとつひとつ 目の前に並べてみる そうしてそして 比重のおっきいのを いくつかとりあげ 順序をこころに刻み込む
2005年 06月 18日
ひとは自分の時間を生きている
生きてる時間はすべて自分の時間だ。 しかしここでは自分のために使う時間と定義しよう。 時々刻々取り巻く状況は変化する。 その状況にいるときしか考えたり、 感じたりできないことがある。 それは状況によって流された思いに追いやられるのではなく、 自分の意志で追いやられた状況を覆すために 自分の時間を使ったかということだ。 自分の立場や都合から一歩退いて、 状況を、あるいは状況に関わることを考えてみたろうか。 その時間の和が自分の実際の年齢じゃないだろうか。 状況に流されると苦労する。 苦労しちゃいかん、と思うのであった。
2005年 06月 18日
あれから3年。。
いろんな事実が出てくる。 当選したブッシュはあのときまで外交に関して無策だった。 クリントンが北朝鮮を国際舞台に引っ張り込みたいと考え、 またパレスチナの問題の解決にぎりぎりまで 苦労していたのとは対照的だった。 それが2001.9.11を境にしてブッシュ政権の外交は一変する。 彼はFBIから飛行機テロの可能性を10回以上聞いていた。 ペンタゴンに突っ込んだのは旅客機ではなく米国の偵察機だった。 では、旅客機はどこに落ちたのか。 旅客機から携帯はつながらない。 ねつ造された犠牲者とその妻との交信。 消された交信記録。 米国は、9.11を防ごうと思えば防げた。 しかし、冷戦がなくなって低迷している軍需産業を 復活させたかったのだという。 国家が国家のある程度の利益を守ろうとすることは理解できる。 しかし、それには限度がある。 元々米国は外交ができない。 歴史のない国だ。 日本は日米同盟で外交を喪失した。 国家に対してはいつも裏を意識して見るべきだ。 国家の論理、行動原理の構造をよく見つめておこう。 国際テロはまさに米国が国家として意図した構図なのだ。 米国はそういう国じゃなかったとは言えない。 真珠湾もそのように世論を煽るために巧妙に仕掛けられた。 ひとの身の丈で考えないとんでもない人たちがいるものだ。 ひとの肉なんkgがいくらと考えられるのだろうな。 目をつむることなく見とかなきゃ。
2005年 06月 18日
悩みはいつもあんまないのよね
あるのは問題なんだよな やっぱいまだ受験の後遺症かな 数学の問題2問を90分掛けて解くようなかんじ 時間を掛ければ問題の本質に近づいてくる そして遠ざかって眺めてみる 15があって9をひいて 10か5をもう一回ひくんだけど やっぱ15の数が問題なんだよなぁ 9がFeburuaryで 10か5があと13年......... 1242x20x10....1242x30x2..year いっつも曇りばっかじゃなく たまには晴れないとなぁ
2005年 06月 18日
ひとの運命なんて数奇だ
・・・使い方がまちがってるかもしらん。 久しぶりに、 孝ならんとすれば忠ならず、 忠ならんとすれば孝ならず。 なんて言葉を思い出す。 この10日間はこのことでかなりの時間を割いている。 デリケートな話なので、なかなか正直に言い出さない。 ひとは嫌われてもいいから話の短い方で持っていこうとする。 真実はますます本質から遠くなる。 自分を美化しようとしたり、 あるいは巻き込まないようにと配慮をする。 最後は、「愛しているけど別れなきゃならないの。」と 女々しい雰囲気にもなる。 三人の男がそれぞれに組を変えて二人になり、 また三人になる。それを何度も繰り返す。 ひとの家庭は様々だ。 さまざまな成り立ちがあり、 ひとの離合集散、泣き笑いがあり、 ぞれぞれの家族の歴史がある。 そして家族の窮状にに深い悲しみを抱いて、 二本の男と女の夢と見栄と意地の張り合いが、 またまた家族を巻き込んでしまう。 泉谷しげるの「家族」の歌そのものだ。 理屈で進めるほどひとってなかなか進化しちゃいない。 そしてうまく廻らなくなった金はひとの心を蝕んでいく。 やさしい心が、経済によって苦しんで、 自己犠牲の決断をする状況を垣間見たが、 死んだ村山の父への想いとだぶってしまった。 それ以上の状況だろうなぁ。 いい方向へぼくは持って行けるように最大限努力する。
2005年 06月 18日
男は強い射精衝動を持っている
よく女が「わたしの体だけが目的なのね。」などと言うが、 それ言葉は意味をなさない。 続けて言う。 「男は強い射精衝動を持っている。」のだから。 強い射精衝動を持っていないとすれば、 外見だけがオスで、メス化しているのだ。 男には誰とでもできるやつと 相手を限定しないとできないやつがいるし、 その違いが愛かどうかは分からない。 好みや体質や論理が多少その衝動を変化させる。 愛を確かめたかったら、 行為の最中に 「結婚して!」と言ってみればいい。 男に覚悟なかったら必ず萎える。 ただ結婚する覚悟がないだけで好きかもしれない。 ま、品位のある言動ではない。 言った言葉は戻らないのだけは弁えておこう。
2005年 06月 18日
SLAUGHTERHOUSEって言葉を急に思い出す
たしか映画。。。 たしかSF。。。 調べるとカート・ボネガット・ジュニア。 SLAUGHTERHOUSE5...... あまり思い出せない。 屠殺場の意味だった。 時間を彷徨っていたような気がする。 戦場から戦場へと。。。。。 ダンテの地獄篇のような風景だったろうか。 このごろぼくも時間を彷徨っている。 いまが自分の基準ではない。 あんまり行ったり来たりすると 物狂おしさが立ち上がりそうになる。
2005年 06月 18日
アテネオリンピックが今日付で終了
悲喜交々の多くのドラマを見た。 しかし傍観者にとってはあくまでもドラマだ。 オリンピックは4年に一回。 ほとんどの競技で金メダルをゲットすることは その競技で頂点に立つこと。 その4年以上待ちに待ち、 競技者は夢を追い求めつつ、 夢のために日々精進する。 そのことを視聴者は理解して 今という同時性の中にある競技者の人生を 見取ろうとする。 自分の中に取り込もうとする。 多くの種目があって、金メダルゲットはてっぺんだから、 オリンピックの金メダル一個一個が金平糖のとんがりに見えた。 てっぺんに立たないと見えないことがある。 またてっぺんに立つことで見えなくなることもある。 勝負事は勝ちにこだわらないと勝てない。 サッカーやバレーボールなどはゲームの流れがある。 ちょっとしたきっかけでチーム全体の意欲や動きが変わってくる。 ノーベル賞の田中耕一さんも人生が変わったひとりだし、 彼は自分で元の生活に戻るためにずいぶん苦労したと聞いた。 過去になれば過去は結果に過ぎない。 過去の栄光はあくまでも過去の栄光。 信じられるのは自分の過ごした時間と思いの記憶。 それがどれだけ自分の細胞に刻まれているかなのでは、 などと、このごろ勝ち負けにこだわりたくないぼくは思う。 競技者のみなさん、ご苦労様でした。 ・・・まだ終わってないかー バキッ!!☆/(x_x)
2005年 06月 18日
きのうきょうは、何人かの顔を見た
過去へ顔をコマ送りしてみた。 老婆の顔や50歳くらいの女性の顔が いろんな顔に変貌した。 表情が、過去と現在をひさぎながら、 それに対する姿勢がいまの表情なのかと思う。 まことに縛られている表情が多いこと。 虜囚の表情にすら見える。 可能性は、老いとともに萎んでくる。 平和はあくまでも表向きで、 人の心の中に戦いがあるのなら、 穏やかさはない。 パチンコに熱中して、 小金を稼ごうや、時間をつぶそうという思いが、 いつの間にか行為そのものが目的になっていく。 何のために何をするのか・・・・ いま、自分はどこにいるのか・・・・ 世界を意識しなくなるのかな。 閉ざされているって感じがたくさんした。
2005年 06月 18日
過ぎたるは及ばざるに如かず、とここに何度書いたことだろう
踏ん張りがきかないのか、恐怖心がないのか、それともそれすらイメージする力がないのか、目の前に結果を見ないと想像できないらしい。 そう感じながらも長い時間を掛けてぼくも少しは気が利くようになってきたから見えることなのかもしれない。 自分の知っている情報で予測できなければならない。未来を見る力は、これは才能といえる。 子供が間違いを犯さないように、あれこれ子供の自由を縛ることはしたくない。間違いをなくすにはまず手痛い間違いを犯した方がいい。痛さを多少感じさせた方がいい。誤りの構図を自分でじっくり味わいながらトレースした方がいい。 流れている時間をどうがっちり自分のものとして掴むかは心構えかしらん。 時は刻まれながら、流れているように見える。でも実はそうではない。
2005年 06月 18日
福沢諭吉 学問のすすめを読んでみる。日本国が鎖国を解いてまさに世界の中で互していくためのひとつの方法論が「学問のすすめ」と読める。その後、教育勅語が発布される。この意図は「飽食の時代」を迎えるまで維持される。
ぼくが生まれてからものはどんどん増えていった。はじめから何でもあった世代にとって勉強が果たして魅力的だったろうか。まして「ゆとり教育」ってのは、何にも物事の本質に迫る機会もなく、さっさとやり過ごして子供たちの心になにも残さない教育に思える。 美術評論家であり写真評論家の福島辰夫が、写真例会で「思想統制された軍事教練下でも間違いなくそのひとの実人生は存在するんだよ。」と言ったことはいつも引っかかっている。いまの時代にそぐわない考え方をその軍事教練を受けている本人が言ったとしても、それは間違いなく彼にとっての実存なのだ。ひとにとっての意味や価値観は時代を超えておぞましくも持続する。若い感性は時代をひしひしと実感できるが、歳を経ると考えることを放棄しがちである。過去の価値観を引きずっていく。そして記憶や意味は変質していく。若い世代と全く反する意味になっていることでさえ気がつかなかったりする。ぼくらはいつも自分の思いを冷静に反芻し、再構築しなければならない。 以上は、あとで思ったこと。 いつも言ってるようにぼくは脳天気が自分の基本だと思っている。 小学校時代も小さい図書館にあった本をよく読んでいたが、それだけだった。小学校の勉強はほとんど授業の中で完結していた。書き取り以外はただ小学校に行くだけで身につけることはできた。小学校に入ったときは、ひらがなを覚えていなかったし、小学2年の夏休みが終わったときは、遊びすぎてまたカタカナを忘れていた(^_^; 中学になるとカリキュラムが見えてくる。範囲も狭い。中学3年の中体連が終わるとこのころから大人の本を読み始める。本を読む友人から読んだ本の話を聞く。決まってそういう友達には、年の離れた兄がいた。ぼくにも4つ離れた従兄がいて、知的刺激を受けた。コンピュータの存在を知ったのも従兄からでそのころだった。そして今に至っている。時代は70年安保で騒々しかったが、直接の時折先生たちがデモで休むくらいだった。1964年の東京オリンピック、1974年の大阪万博と時代の体勢は豊かな未来幻想で充ち満ちていた。 大学のことなんか考えることもなく入った高校。しかしそこはは進学校だったのでみんな進路に対して期待に充ち満ちていた。みんなひとかどになろうとする意欲があった。そんななかでそれなりになにか抜きんでる必要があったし、情熱こそがなにかに抜きんでるきっかけだった。場の中でユニークでなければ存在する意味がないと信じていた。多くの知的好奇心の方向性はこの時点で決まった。数学、物理、化学、古文、漢文、英語。あと哲学かぁ。しかし、いまでも一貫してあるのは、興味のないものには冷淡だった。他人から与えられる課題は無視することが多かった。ぼくには動機付けされることが必要だった。自分の欲望に忠実だということはその辺のことを指すのだと思う。 大学に入ると教師(とりわけ教授)は、教えようという意欲をさらさら感じなかった。伝えようとする意欲なしに発せられる情報。教授になったわけだから、彼がそれをやってきてその教授という地位を得た情熱ですら感じることができなかった。入学する前年まで70年安保ではない生協闘争があっていたから、学生を恐怖していたのかもしれない。彼らの個性はとてもみずほらしいものに見えた。 ぼくにはそういう面白くない状況に最低4年間も閉じこめておく社会構造がとても気になっていた。社会はとても膠着して見えた。一部の教師(英語教師だった)は、「あまり政府批判をすると消されるよ。」なんて言われたことを披露していた。この消されるというのは教師を追われるということなのだろう。羽仁五郎がいう大学の自治はなく、文部省の言いなりだった。 オイルショック以降、一進一退しながら、しかし景気はまだ継続していた。ただ学生は就職が専攻した関連の仕事に必ずしも就けなくなっていた。社会構造そのものがなんか変だぞと思うようになっていた。まだまだ何か得体の知れないものがこの構造を維持しているように思えた。 世界を見る上で「なんか変だぞ」という自分の感覚が一番必要だ。そう感じる主体がなければ何もない。論理は結論を先に持ってきても構築できるものでもある。都合のいい要素をうまく組み合わせれば好き勝手な結論が導き出せる。原子力発電所然り、諫早湾の可動堰然り。危機管理以前に知のパラダイムを作り上げなければならない必要性を強く感じていた。 ぼくが生きている宇宙は、あるいは素粒子論的な世界とはどういうものか。生命とは何か。ひとの考えてきた思想とは何か。人類の歴史、心理的メカニズムとは。ひとに何が決定的に影響を与えたのか、自分は何をするべきか? 足りない情報を自分に取り込みながら、自分のやってきたことを振り返り、また新たに自分を再構築する。それが自分にとっての学問なのかもしれない。
2005年 06月 18日
ひとが常に意識できる課題は何個だろう。元々1テーマに何週間も時間を掛けてしまう性向なのでひとつのことに嵌ってしまうとそればかりになってしまう。しかしこのごろは無視する技術も巧みになってきて忘却してしまうことすらある。そしてちょっと周囲を見渡す余裕ができると現時点での問題をさっとおさらいしてみる
全体のバランスや力の配分は難しい。形を整えようとどっかをいじるとあらぬ方向でぴょこんと出っ張ってくる。欠けたるものを見渡すとまだまだ勉強しなければならない課題もたーくさん。 いくつかの立場の違う役割を意識して違った切り口から物事は見てみないと一面的になってしまいがちだ。ぼくはどれだけたくさんの視点を持っているのだろう。 黙々とやっていくしかないのだが、毎日このように全体を見渡す作業をしないと偏ったものになってしまう。この時間はとてもぼくにとって重要かつ貴重な時間。
2005年 06月 18日
SEXというテーマは一度は書きたいと思っていた。たまたまネットでのやりとりの事が気になってイメージが湧いたので書いてみようと思う
不倫がいいとか悪いとか、愛する人とのセックスが一番幸せよ、なんて事はそれはどうでもいい。SEXが人にとって何なのかが重要な問題だと思う。人々は様々な時代に制限された教育により大きな勘違いをしているように思う。社会通念や吉本隆明がいう共同幻想に支配されているように見える。 高校生の時に作った詩に、SEXのことに関して「天国と地獄との間を振動する・・・」という詩を書いたことがある。(機会があればここにもアップしようと思う)これは、童貞の頃ながらそれぞれの男と女の想いの中で俗にいう愛し合う行為をイメージして作った詩だ。自分自身の持っている若い性欲を感じながらも痛くSEXに冷淡だった。誘われてもついて行かないし、好きな娘にしか興味がなかったし、好きな娘でも一緒に寝てもSEXのイメージが湧かない娘には性欲を感じなかったものだ。 当時、同級生の穴井くんと好きな娘とキスをしたいと思うか思わないかで論争になったことがあった。彼は「したい」と言う、ぼくは「したいと思わない」と言う。数週間に渡って話し合った記憶がある。彼にとってそういう「したいと思わない」存在が信じられなかったらしい。SEXは確かにしたかったがキスをよくイメージできなかった。恋愛を全く理解できていなかったのだろう。 性欲とは何なのか。男は生物的に陰嚢に精子が溜まる。出そうとする欲求がある。女性の場合はうーむ、感覚的に分からない。(勇気のある人はコメント書いてね) ユダヤのタルムードでは、「ひとにとって大切なこと、食べること、寝ること、交わること。」という。SEXを娯楽と考えることもできる。繁殖期が一年中あるのは人間だけ。また、戦争の時灯火管制があって英国だったかそのときの子供が多かったとか...。またヨガでは、タントラヨガがあってSEXの快感を追求しているし、インドには「カーマスートラ」というSEXを楽しむための本もある。また懇意な人が亡くなったときにも妙に興奮する。ひとは生ものだし、いつも揺らいでいる。そして淋しさや孤独を感じていて、誰かに肉体的にも精神的にも共感を得たいと思っている。それが真実だ。それが生命の根元だと思う。基本的にそれ以外に何があるというのだ。自己の存在を実感できない存在はつらすぎることなのだ。 様々な時代があった。ド・モルガンの「古代社会」では、婚姻した女の姉妹とはSEXできた。また、女にとって婚姻した男の兄弟とはSEXが社会的に認められていた。子供は誰の子か分からなかったし、財産がない時代は、誰の子でもよかった。しかし、相続すべき私有財産があるような豊かな社会になってから、女性の貞操という概念が生まれた。相続すべき財産を確実にその男の子供であるという保証が必要だったからだ。マルクス・エンゲルスも「私有・財産・国家の起源」で書いている。家という概念が生まれたのもこのころだ。 そういう人類の歴史を垣間見たことでぼくにとって婚姻制度自体は崩壊してしまった。 結婚したとき夫婦別姓でもよかったし、何でもよかった。ただ相手にそういう考え方を話したことはないし、世間一般のイメージのままに進行してしまった。そのような結婚は社会から優遇されているだけだったのだが、それがいま生きている社会の論理で相手にとってメリットがあるならいいかと思うだけだった。ある意味、セックスまでも管理されている社会であるとアウトサイダーのぼくは感じるのである。 最大限、意味的に自由であることを追求しようと思う。この汲々とした社会と面と向かいながら、コンプライアンスだって??原則としてぼくは無法者だ。でも社会を意識すると順法精神を意識する。ただそんなことを考えていたって少しも自由になれないのではないかと考える。思いは自由だ。一歩歩き始めれば制限はあるものの、男女の関係に自由さが無くなったとしたら、ひとはどこに自由さを求めるのだろうか?自由であることを享受できるのは犯罪者のみになってしまう。ひとの自由は最低限、選択と決意にある。それすらなければひとでない。
2005年 06月 18日
外は砂漠、あるいは太陽に近い惑星
窓から輻射熱が伝わってくる。 新社屋だから冷房は効いているものの、 仕事をやる気が湧かない。 工場と社屋の間の大きな駐車場を歩く人たちに玉の汗が光っている。 坂道を上るように体は前屈みだ。 (ここには坂道なんてない) 風が吹いていない。 じりじりと焼け付いた地面には、 所々に動物の白骨化した骨が転がっている。 人骨もある.....。 ・・・そんな妄想がよぎる。 梅雨が早く明けたせいか、恐ろしくもある。 これからどれだけこんな日々を迎えるのだろうか。 生半可な暑さじゃないからなぁ、熊本の夏は・・・。
2005年 06月 18日
カフカ的だと自分のことを思っている
フランツ・カフカという作家ではなく、カフカの作品の精神的状況を若いときよく感じていたものだ。だからといってたくさん読んだわけではない。「変身」と「審判」くらいだったかなぁ。 なんの予測もなく状況が一変するような事態に突然なっていく感覚。 突然いままでと違う自分になるかもしれないという畏れ。 予想だにしない社会の掟を理路整然とでなく、単に結論として押しつけてくる田舎で育ったせいもあるかもしれない。そのくせぼくは「21世紀の科学の子」。原因があって結果がある。合理的であろうと思うと様々なことに理由や意味が必要だった。少しでも分からないことがあると膨大な時間を割いて意味や理由のことを考えるのであった。最長3年も・・・(^_^; そしてまだまだその不明なことは増えていくばかり.....。そしてそして「過ぎたるは及ばざるに如かず。」とやりすぎるくらいなら、分かるところまでで止めておこうという悠長な性格。 30年ほど前から出てきた言葉で、モラトリアム人間、ピーターパン症候群、シンデレラ症候群、ライ麦畑で捕まえて症候群等々。20世紀後半に生まれた者達は漠然とした不安と実感のない生を意識的に感じている。 家で使う水をくみに行ったり、家畜の世話をしたり、幼い兄弟達を親の代わりに面倒を見るように、生きるために体を動かすのではなく、 いま直面する問題を解決するために勉強するのではなく、実感のないいつ使うか分からない、きっと一生使わない様々な公式を理解しようとしてきた。 ひとにとって実感とは、自分の抱えた問題を解決することだし、否応なく家族の社会を担う労働をすることで、自分の社会での役割を実感できるのである。政治家がいう道徳でもなければ、安易な暴力否定でもない。重要なのは実感できるところまで一歩踏み込むことだ。 そうしてカフカ的なものは押し込むことができたが、まだときおり首をもたげる。その内在するカフカ的なものを封じ込めるためには、少なくとも得体の知れないものと感じる"なにか"を多少なりともイメージできるくらいには意識して考える。
2005年 06月 18日
高村光太郎という詩人で彫刻家がいた
あのパリ万博に「老猿」という木彫りを出品した高村光雲の子である。 彼の詩は好きではないが、彼は、 「詩が自分のだめな部分、彫刻が崇高な部分でやっている。」と言っていたのを妙に記憶している。太極図のように陰と陽がぐるぐる回りながら進んでるイメージかなぁ。物質を構成する分子や原子は、量子力学的に見ると確率的に素粒子が存在する。たしか位置を特定すると速度が不定になり、速度が決まると位置がわからないというそのような構造。そして確率的に存在する。そのように昔読んだ本に書いてあったと記憶する。 存在とはエネルギの集合体なのだと感じている。生とは母親の子宮から放出されたエネルギ。死に向かって放出されたと考えるもよし、太陽の爆発で生まれた原子を構成物質とし、生が終わるとも、また違うものに変わっていくと考えるもよし。それは、自分を癒したり、あるいは叱咤するときに都合によって変えればよい。 意識の問題は、陰と陽をいつも意識すればよい。上下でもいい、左右でもいい、両極端なことをいつも意識する。そのいまどこにいるかを時折考える。僕らはいつも太極の狭間にいる。それだけ分かっていればいい。
2005年 06月 18日
ここまでひどくなるかぁ
仕事に集中させてくれない。 「集団が集団であって、個が個であり得る集団。」こそが願いなんだが、 共通の方向性を持ち、重要な情報を共有し、 己の欲するところに従いながら、その矩を超えない ひとり一人が自分の問題として考え、 考えることが同時にみんなのことを考えること。 グリッドコンピュータのようにうまく働かないか。 よかれと思えば、その思いに溺れてしまう。 引っ込みはじめると指示ですら行動しなくなる。 50代のひとたちよ、 感情のふれが大きすぎるのはちょっと考えものだ。 しかし、いまの日本の社会の平均的なところは、 そういうところなのだろう。 取引先記入用紙を改めて送ったのだが、 記入項目の問い合わせですっていいながら、 書いてあるのを読み上げている。 読めば分かるじゃん。 ぼくと時間を共有したかったのかなと思ってしまう。 ・・・< とてもイヤミなやつだよ σ(^_^) > 埋もれようなんて思わなければいいのに。 見たままを受け入れるんじゃなくて、 少なくともその背後にあるものを感じなくては。 「いま、わたしはどこに立っているんだろう」 すらすらと誰も説明することはできないけれど、 そういうことを考え、感じつつ、 日々の日常があると思いたい。 イスラエルがハマスの創始者のヤシン氏を暗殺し、 アメリカは遺憾な事だといいつつ、暗に擁護している。 イスラエルを暗殺国家にしたのは、 他ならぬアメリカのアフガニスタンやイラクへ派兵した テロに屈しない、テロリズムに対して完膚無きまでに叩きつぶす という行動原理に他ならない。 身近な人の死や、失業や貧困や無教育の状態で、 何を考えろというのだろう。 ひとの行動は感情が源泉にある。 その感情を様々な理解の方法を学んでよりよきものに 高めていかなければならない。 日々直面する生命や生活への不安が、 まともな精神状態でいられるわけがない。 このごろ、親世代、子世代で別居が多いところの数件。 どうも焼け跡闇市世代の親らしい。 彼らは子供の頃、身近で友達や親族や家族が、 機銃掃射とかで死ぬのを見ていた。 ある男性の談によると 「怖くはなかった。それが気付いたときにそういう状況だったから。」 と言っていた。 身を守ることに過敏になるとひとへの配慮はなくなってしまう。 そういつつもひとを感じる感度がなくなっているし、 存在感のある人も少なくなった。 ぼくのこともプログラムされた機械のように見えるひとも いるのかも(^_^;) ・・・・むずっかしいなぁ。
2005年 06月 18日
「人魚姫は人間の王子に恋して、人間の姿になることを望みましたが、それは、大きな代償との引き換えでした。足を得るためには声を犠牲にしなければならず、しかし歩こうとすると、まるで刃の上を歩くようでした
代償がなくても、過去のツケや巡り合わせで様々な困難な状況に至る。 それもまたよし。 養老さんが、死を見つめることが原点だという風な本を出したようだ。 覚悟ってのも自分にとっての死をどう見つめるかだし、 またそう死が遠い話でないと感じる年代になってくると、 自分のやりたいこと、やるべき事を時折整理しはじめる。 優先順位の入れ替えと自分の役割を見直しはじめる。 現象学の本をちょっと読んでみる。 乱暴な見方をすれば、 人間には二重の視点があって、 自分からの視点と客観的視点がある。 この客観的視点を一旦エポケー(判断停止)して、 実存的な世界視線を残すような視線変更を行う。 ま、ぼくがやろうとしてる事だろうな。 いまさら言われなくても・・・・。 内的世界とそこが関わる外的世界をどう調和させていくかが、 大きなテーマだと思っている。 進行しているし、絶えず変化しているし、 個人は揺らぎながらも様々な価値や意味を感じている。 正義はひとつではなく、 多くのひとがそれを支持すればなおさらうさんくさいものになっていく。 それでいながら自分の存在とはその中に一石を投じることなのかな。 自分というものを自分だけで理解できるのかというと それは否。 自分の投じた一石を物理学者のような意識で、 反応を感じて取り込んでいかなければならない。 5分ごとに、 電話や社内の質問や問題指摘。。。 そのうちの多くが冷静に考えればぼくに声を掛けなくて済むこと。 聞かれたことをそのまま返すと問題が解決する。 あるいは手順を説明してあげる。 同じ事の繰り返し。 いない方がいいのではないかと思う。 自分で問題を解決する自立って難しいらしい。 それ以前の問題かぁ。
2005年 06月 18日
ぼくは最悪の状況を想像して復活するタイプ。
元々脳天気で楽観的だったのだが、 周囲があまりに未来に対して厳しいので、 獲得した性向と言えるだろう。 最悪の状況を想像して覚悟しておけば それ以上は悪くならないだろう、ということ。 ひとにお勧めできる考え方ではない。 だって明るくないもの(^_^;) 毎日が旅立ちのような気がするときがある。 問題はいつも少しずつ違った表情をして横たわっている。 言葉に出していくと同じように見えるが、 状況と時間軸上での変化予測と、 意味を投入することの組み合わせで、 信じるものが支えられることがある。 これが絶望と言いつつ、 いつも光を見ているという、 脳天気な性格たる所以である。 勝のは好きではないが動くのは好きである。 好んで負けたくはないが、 ハレの勝利は好きではない。 外見では淡々としているがな内部では、 日々が大変化なのだから。 意図した加害者ならいいが、 意図しない加害者にはなりたくない。 それは読みが甘いのだから。 風を読め、耳を澄ませ、目を凝らせ!! ---------------- 中山らびの「ラビ」届く。 一度引退し復活してからのライブのようだ。 パワーは「ひらひら」の頃と比べて落ちているが、 (ま、70年代のパワーを維持するのは難しい) まあまあとしよう。
2005年 06月 18日
気力と体力のバランスが取れてくると
心に隙間ができそうもない。 元来人なつっこいぼくだもの。 ところどころにひとが見える。 巷で流行る孤独は寂しさと同義である。 ムスタキの孤独は意識の主体くらいの意味に感じる。 ひとは自分のイメージの虜囚である。 その状況を缶蹴りの缶ののように 暖めずにけっ飛ばして、 仙人の持ってる瓢箪をイメージしよう。 このごろ言葉が気になる。 人が使う言葉が曖昧なときに辛抱強く聞き直す。 言葉を思いつきのように持ち出すひとは、 話し好きなのだと思う。 彼らは「いま」を話にすることで移ろっていく。 話を認識の再構成の方法としてではなく、 自分の緊張を解放する方向に向かう。 機械部品のような要素は、 材質、表面処理、形状でほぼ決まる。 機能が意味なのだが、規定された機能以外に使用されることもある。 定まったものにも自由がある。 やり過ごしかどうかをもっと見極めなければ・・・・ ぼくの沈黙を優しさと受けとる人もいれば、 制裁と受け取るひともいる。 相手にもっと入り込むか、 もっと相手を引き寄せるか。 役割として変わらざるを得ないひともいるということだ。 そして自分で変わろうとするのか、 ただ引きずられるだけなのか。 大きな違いだろう。
2005年 06月 18日
ときめきがな
感動がない 不安や恐怖でもいい 怒りを抑えるための 殺意でもいい えらそうに 許すのでなく まんべんなく ええかげん だえきをだしながら あじわうよろこび 仕掛けや遊び 遠いことは語らず ちかくの二、三を語り 残りの百は内緒にしとこ 人工無能化断固阻止!!
2005年 06月 18日
ぼくは両親を20歳頃から名前に「さん」を付けて呼んでいる
親子の関係性を相手が意識するような形で断ち切りたかったからだ。 親の呼び方に「おとうさん、おかあさん」、「とうちゃん、かあちゃん」、 「パパ、ママ」「親父殿、お袋様」等々。 それを使うたびに、日本の社会の中で親子という関係性を 再認識させられる。親にしても使われるとそう思う。 小さい頃は、その家庭内のみでの使用でそれは唯一性をがあるのだが、 子供の社会が大きくなり始めて、その言葉を使用することが、 主従関係や上下関係を再認識する言葉になってくる。 親という立場での押しつけが許せなかったし、 親も責任感が強いというか、過剰に親であることに反応していた。 そういう重い親子の関係を断ち切りたいと思って、 ぼくは親を「さんづけ」で呼ぶようになった。 はじめは男親は、激高していたが、 数年もたつと慣れてきた。 ちゃんと 「この親子の関係性は異常であるので、 親でもない、子でもない、と思ってもいいから、 今後、こういう言い方に改める。」って宣言した。 言葉の中に含まれている上下関係や主従関係が、 とても気になる。 いまだに長幼の序もあるのだろうが、 だんだん、崩壊していってるのは間違いないだろう。 敬語体系がしっかりしていない英語教育の影響もあるだろう。 若い上司に年老いた部下が過剰な敬語を使うのも、 ぼくにはあまり感じがいいものではない。 かたっくるしくない敬意が表れるぐらいでいいのではないか。 このごろ社内では肩書きで呼ばない会社も増えてきているが、 その言葉が上下関係を再認識させる言葉なので、 自由な意見が押し込められてしまうのだ。 とらわれている意識を解放しなければならない。 ぼく自身もだ。 フッサールの現象学の手前で本を読むのを止めてしまったから、 また日曜本を買ってきた。 思考のメカニズムをもう一度組み替えなくては。
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